1958年に生まれてから、北海道釧路市入江町で中学校1年生まで暮らした。
小学校は「釧路市立光陽小学校」。
ここで、素晴らしい先生(桜岡先生)と出逢いました。
休日には6段変速の自転車で厚岸までサイクリングに連れていってくれたり、
軽自動車で阿寒湖までのラリーに出場したり、スポーツ万能の先生でした。
先生、お元気なのでしょうか。お世話になりました。(ニックネーム・8 より)。
釧路は雪は少ないのですが寒さが厳しいので、裏の空き地に水をまくとスケートリンクのできあがりです。
お陰で、スケートは今でもスーィスーィと今でも滑ることができます。
北38条東8丁目だった。ここには約1年間だけでしたが、
丁度、札幌オリンピックが開催されていて、ジャネット・リンを生で観ることができた。
中学生だったので飲み歩くことは無く、残念ながら夜の札幌は知らない(本当に残念!)。
当時は、北24条までは地下鉄があったのですが、北38条はとても札幌市とは思えない場所でした。
“ジャコビニ流星”を中学校の校庭で観たこと。
サイモン&ガーファンクルをHBCの深夜放送で聞いたこと。
などなど、想い出がある町です。
北海道から内地(北海道の人は本州のことをナイチと呼ぶ)へ引っ越し。
この町はやたらと寿司屋が多い。人口に対する割合は日本一だとも聞いた。
ここで、青春時代のほとんどを過ごすことになる。ギターを通じて沢山の仲間と知り合った。
フォークソング・グループ「ゴンベーズ」のメンバとしてポップコンなどへも参加した。
北海道東北大会では残念な結果だったが、素晴らしい想い出として残った。
私がRagTimeと出逢ったのもこの町である。
初めての職場がこの町であった。ここから「つくば学園都市」まで通っていた。
ロケットの噴射実験のデータ採取作業や大型コンピュータの保守作業を行ったが、、、何も覚えていない。
覚えているのは、アパートの前に広がる「蓮田」に雨が当たるとやたらとうるさかったことくらいである。
ここから、吉祥寺を経由して都心へ通勤していた。仕事帰りは吉祥寺の街をブラリ、
ライブハウスに通い耳が肥えたのもこの街である。当時は○Iのローンに悩まされたっけ。
通勤定期代金で自転車を購入したので休日の行動範囲はそれなりに広がった。
井の頭公園や蕎麦が旨い植物園でのゆったりした休日は最高だった。
八丁畷(なわて)では、風呂無し、トイレ、台所は共同の4.5畳で暮らした。
隣の部屋の音が聞こえるアパートであった。「神田川」や「赤ちょうちん」の世界である。
徹夜の作業や出張の連続ではあったが、出張成金で一番金があった時期かも知れない。
毎週のように出張から戻って旅費の清算すると、分厚くなった財布を持ってレコード屋に行きLPを買っていた。
特に、フュージョン系の音楽にハマッていた。
ここは出張で訪れた村。毎週月曜日から金曜日まで「沼田屋旅館」に宿泊していた。
こちらの、マスターとMどりさんには大変お世話になった。
原子力研究所や動力炉○○などへも見学へ行った。
この研究所の敷地には滑走路のような道があり、サバンナを走らせて楽しんだが誰の車だったのか覚えていない。
昼食の時間はドライブも兼ねて大洗の方までうどんを食べに行ったこともある。
この街では5年間ほど暮らした。西区浅間台の高級アパート?だった。
横浜駅の西口まで徒歩15分の近さだったが、タクシーにはいやがられた。
山下公園や中華街まで歩いて行ったこともあったが、この辺りは異国情緒いっぱいの素敵な街である。
また、天王町から星川まで続く商店街は休日の散歩コースで、3本立の映画館では腰や尻が痛くなるほど座っていた。
初めてサーブ(SAAB)と出逢ったのはこの街である。
「なんダ! あのクルマ!」これが第一印象だった。
それから、西部自動車販売の中古車センターで“パールライトブルー”のSAAB900turbo16Vを購入。
そーして、SAAB900のオーナーになったのでしたぁ。
ここは出張で訪れた街。「ぶっかけ」が美味かった。
栗林公園の近所のテントのJazz屋台のマスターにはお世話になりました。
今はテントをたたんでしまったようですが。
この屋台で弾いたギターを通じて知り合った 喜○さん、○中さん、元さん。。。。ありがとうございました。
ここも出張で訪れた街。
駅前にある「南信」では美味い中華料理を食べたいばかりに、
毎週のように仙台みやげを買っていったっけ。店長がサービスしてくれた料理のが美味かった。
この店には「南信カクテル」と名付けられた怪しい飲み物もある。
朝の通勤時間帯が辛かった。(笑) と言うのは・・・中延学園の女子高生がゾロゾロ。
最近の女子高生には「まったく!」としか言いようがありません。
ここも13ヶ月間の出張で訪れた街。
新大久保の駅を降りるとハングル文字が多く見られる。韓国家庭料理の店で何度か食事したが「ウマイ!」。
「チヂミ」はビールに合うつまみでした。
この街のウィークリー・マンションで寝泊りしながら、西新宿にある高層ビルの作業場所へ通っていた。
通常は、9時に出勤の準備をはじめて、10時から作業開始。作業が終了するのは(ほぼ毎日)深夜、または、早朝であった。
一緒に作業した皆さんには本当に良くしてもらった。ステキな仲間に出会えた作業でした。
現在、住まいしている町である。
仙台市のベットタウンとして急速に人口が増えている。
緑も多く自然が残っているが、これから先はどのようになるのだろうかぁぁぁ。
幸い、近所の方々に恵まれ住み心地は最高である。
今までのアパート暮らしとは違い、町内会の活動などにも積極的に参加している自分にも驚いている。
別Pageで紹介しているフォークソング・グループ「つくし座」の仲間のホームグラウンドもこの町である。
これからも、仲間と一緒にギターと歌を続けて行きたい。
まだ、執筆途中です。